室長プロフィール

こんにちは。私は、丹羽豊と申します。
当相談室のHPにアクセスいただき、ありがとうございます。

相談室開設のきっかけ

 私は、大学卒業後13年間、公立小学校の教師をしておりました。希望は中学校の数学の教師でしたが、つかんだ免許は中学体育と小学校でしたので、やむなく小学校勤務を選択したのでした。残念ながらそれが自信喪失への一歩だったのかもしれません。ある年、低学年を担任してから、日々の実践に相当悩んだ記憶があります。
 生活指導主任のときにカウンセリング講座に学び、実践のおもしろさもさることながら、カウンセリングを通して公教育に間接的に関わることの大切さとその分野での社会的な広がりの遅れを感じたことが、後のNIWA教育相談室の前身である「教育総合相談室」を開設するきっかけとなりました。
 教員退職後は、まず法律事務所勤務、その後教育出版会社勤務を経て、1998年に「教育総合相談室」を開設し、現場の先生方の支援に取り組みはじめました。
 当時は、何よりも日々職場で苦悩されている現場の先生方の支援を第一とし、自信を喪失されたり、職場で孤立されたりして、明日への意欲を無くされた先生方とお話ししながら、本当に手さぐり状態でのカウンセリングでした。たくさんの先生方とお話しさせていただき、急速に変わっていく教育環境に戸惑いながらも、先生方と明日の実践を探していく営みが、私の毎日の大きな励みでした。
 中でも、やはり精神的に追い込まれやむなく学校を休職された先生のカウンセリングをして、現場復帰へお手伝いさせていただいたことが今でも強く印象深く残っております。

相談室の一時閉鎖と不登校相談室として再開

 しかし、この相談室の事業だけでは残念ながら生活を支えるべき収入には至らず、進学塾へのアルバイトを余儀なくされ、進学塾での授業、各教室の販売管理(販売促進・生徒獲得)、そして、他塾への経営・運営コンサルを主な仕事としている中で、本来のカウンセリング活動への時間が確保できず、やむなく2002年に相談室を一時的に閉鎖(HPも閉鎖)し、口コミだけの紹介にてのカウンセリングのみをてがけておりました。
 その後ご縁があり、通信制高校の運営本部に勤務し、不登校生徒の保護者のカウンセリングを担当したことがきっかけとなり、不登校問題に取り組み、相談室の再開を決意しました。
 また、自らも日常的に通信制高校の生徒を支援したいと思い、自ら通信制高校サポート校を立ち上げ、生徒の高校卒業及び卒業後の進路を見据え、生徒の不登校克服を全面的に支援し始めました。(後にサポート校は「豊翔高等学院」と改名)

 そして2006年、教育総合相談室を再開、その後2012年に法人化認可とともに「NIWA教育相談室」と改名しました。

不登校カウンセリングへの想い

 私には、いわゆる臨床心理士などの資格はありません。カウンセリング養成講座へは何度か参加して学習もしてきましたが、それがある意味でカウンセリングを始めるきっかけにはなりましたが、現場経験主義と言わざるを得ません。

 現在、相談室では年間250件を超える不登校相談や通信制高校への進路相談を無料で受けています。NIWA教育相談室は私にとってまさにライフワークそのものです。
 普段の相談は、主に不登校や発達障害を抱える生徒の保護者支援です。他のカウンセリングルームでは生徒本人のカウンセリングを手掛けておられるところも多くありますが、不登校克服へは保護者の家庭での対応が不可欠であり、生徒は家族に支えられて自立し始め不登校を克服していくものと捉えています。
 私たち大人は生徒の自立を促す存在です。生徒は大人に支えられ応援されながら自立に立ち向かっていきます。わが子の不登校を目の前にして、親として大人として何ができるのか、そこに大きな課題が存在しています。
 わが子の不登校を受け入れるのは、やはり難しいことです。受け入れながら「見守ること」「寄り添うこと」がとても大切であることは誰もが分かっているのですが、では現実の問題として、どういう言動が親や大人に求められているのでしょうか?
 つまり、「見守る」とは、そして「寄り添う」とは日常の生活の中でのどのような言動なのでしょうか?私は、相談に来られた保護者に、その対応の具体的な言動をいつも提案するようにしています。今日からわが子に対して始められることは何か、保護者にいわゆる対応の引き出しをたくさん持っていいただきたいと、細かな具体策を提示し、不安の中で錯綜されている保護者を応援しているというのが私のカウンセリングです。

 もちろん、通信制高校へ転校を考えている生徒本人の相談も受けています。正しい豊富な情報を届け、本人の希望や願いを受け止め、生徒に合った通信制高校を勧めるのも相談室の仕事です。

 確かに不登校の生徒は傷つき、不安の中でもがいています。同時に、保護者も傷つき疲弊し、明日の方向が見えない中での模索の毎日なのです。
 気軽に相談室へおいでいただきたいと思っています。
 当相談室が無料で運営できるのは、様々なご協力をいただいているのは事実ですが、私自身がライフワークとして捉え、保護者の方に「相談に行って良かった」と評価していただけるお手伝いを続けたいと思っているからです。どうか、よろしくお願いします。

相談室の未来図

 さて、私ももうすぐ古希を迎えます。(現在68歳)
 まだ通信制高校の現職で仕事もしていますが、年金生活も続けています。やがて現職の仕事から離れ、この相談室の運営を自分のライフワークとして確立したいと考えています。

 NPO法人として実績を積み学校や公的機関と、さらには医療機関などとも連携し、不登校や発達の問題に精力的に取り組む相談室として多くの皆さんから支持・支援がいただければ幸いです。
 いつになるか分かりませんが、本部は日本海の小さな漁村(福井県か金沢県)の廃屋に移し、大阪本部・京都相談室の日常の業務は後継者に委ね、私はネットによる映像相談などが継続できればと思っています。
 カウンセリングの合間には浜辺の防波堤で釣り糸を垂らし、私の釣った新鮮な魚のお刺身で一杯やりながら、また仲間との語らいができれば幸せです。
 どうか宜しくお願い致します。

 つたない自己紹介をここまで読んでいただきありがとうございます。 とりあえず、簡単な略歴を記しておきます。

私の略歴

1952年
(昭和27年)
京都府(加茂町、現在の木津川市)にて出生
1975年
(昭和50年)
静岡大学教育学部 卒業
公立小学校の教壇に立つ
1988年
(昭和63年)
小学校退職
法律事務所勤務
1998年
(平成10年)
「教育総合相談室」開設 教職員カウンセリングを開始
進学塾に勤務 数学及び講師研修担当
2002年
(平成14年)
「教育総合相談室」一時閉鎖
塾勤務および塾コンサルタントとして活動
ウェブ数学教材の作成 等
2006年
(平成18年)
通信制高等学校関連事業に従事
「教育総合相談室」再開、不登校相談(無料)を開始
2011年
(平成23年)
通信制高校サポート校を創設、通信制高校生徒の支援開始
(平成23年) 後に(平成28年)に、サポート校を「豊翔高等学院」と改名
2012年
(平成24年)
「教育総合相談室」を法人化
法人認可「NPO法人NIWA教育相談室」に改名

<共著> すでに廃阪なっているのもありますが…
 ■『教育実践事典(2)』(全5巻) 教科指導Ⅰ 労働旬報社 1982年
 ■『教師の力量をみがく(教師の仕事と生活)』 あゆみ出版 1987年
 ■『健康な子どもを育てる(子どもと生きる)』 あゆみ出版 1987年
 ■ シリーズ『私達の体育授業』 文理閣 1985年
 ■『すぐに役立つ授業のヒント・2年』 あゆみ出版 1987年
 ■『すぐに役立つ授業のヒント・4年』 あゆみ出版 1987年
 ■ その他、月刊雑誌に連載

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